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2007年02月03日

●kitchen

 ふと風呂に入り吉本ばななの『キッチン』を読み直す。
 なんとなく思い出にふける。
 過去の記憶を毛嫌いしていたのになぁと、少し自分がおかしくなる。

 自己満足で、思い出した事を書いてみる。いつもは人が読む事を意識してみたりするけど、まぁー今日は書き殴りだ。

 キッチンはとても大切な場所だった。
 小学校の頃から家族は起きるのが遅かったので、朝は一人の事がとても多かった。そんな朝は、子供向け番組が存分に見れるのでとても好きだった。そんな番組を片目に、目玉焼きとベーコンを作る。キッチンの小さなテレビを見ながら、自分で作った目玉焼きを「今日はいいできだねぇ」と評価しながら食べる。
 あんまり覚えてはいないが、まぁーそんな所だったと思う。

 夜になって、眠れない夜に起きて行くと、たばこをふかしながら祖母がキッチンのテレビで一人麻雀ゲームをしている。そのヨコに座って、ぼけーっと麻雀を眺めていた。冬は電気ストーブのせいで、はだがかさかさだったなぁ。安心してぼけーっとしているなんて、贅沢だ。というのは今の感想だ。

 そんな自分も今や23にさしかかろうと言うところ。キッチンを完全に思うがままにあやつり、キッチン用具も自分の中ではかなり合理的に配置されている。
 名古屋に来て5年くらいになるけど、キッチンに立って料理を作っているときは、なぜかとてもリラックスしている。家のこたつに座っても、哀しい事を考えたりするし、パソコンのディスプレイには地獄絵図ばかりうつっている。それが、ひとたびキッチンに立つと、食材の切り方を考えたり、味付けを考えたり、汚いところを掃除してみたり、なんか落ち着くんだな。
 本当にストレスが貯まっているときなんかは、キッチンには食器が散乱する。そんな食器を片づけたりした後には、なぜだろう、すっきりしている。排水溝の中に手を突っ込んで綺麗にしたりして
「お前もやればできるじゃねぇか」
 なんてキッチンに言われている気がする。

 結局こたつに座って、いらんことをまた考え始めるのだけどね…。
 本当に死にそうなときは、キッチンのシンクにぐたっ、としたりもする。


 いつかこのキッチンに、愛する女性が立ってくれるのだろうか。
 少なくとも今、たまに誰かが料理とかしていると、何よりも「自分のキッチン」が気になってしまう。


 税理士の勉強をし始めてから弁当を作り始めた。ほぼ毎日作っている。
 朝キッチンに立つから、頑張れるのかもしれない。

 寂しいと言えば寂しい。けど、キッチンはとても大切な親友だ。キッチンがいれば、わしは結構やっていけるかな、とも思う。


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